坂本龍馬も新婚旅行で訪れた霧島神宮
更新日:2023-05-07
神社仏閣霧島神宮の歴史
霧島神宮は、鹿児島県霧島市にある歴史ある神社であり、その歴史と魅力は多くの人々を惹きつけています。霧島神宮は、鹿児島県内でも最も重要な神社の1つであり、神話や伝承に深く根ざした信仰の中心地として知られています。霧島神宮の祭神は、古代の神話において天照大神の命により高天原から地上に降り立ったと伝えられる存在であり、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)として知られています。この天孫降臨の神話は、日本の神話の中でも特に重要な物語であり、霧島神宮にとってもその由緒となっています。
かつては高千穂峰の山頂にあった霧島神宮
神社の創建にまつわる伝説によれば、創建当初、霧島神宮は高千穂峰の山上に位置していたようです。その壮大な自然の中で、古代からの信仰と祈りが交差し、神聖な場所として崇められてきました。しかし、火山の噴火により霧島神宮は焼失してしまいます。
それから数年後、天暦年間になり天台宗の僧である性空(しょうくう)が現在の高千穂河原付近、古宮址(ふるみやあと)に霧島神宮を移しました。性空は霧島山などで修行を積み、後に書写山圓教寺を創建した人物でもあります。
島津家によって手厚く保護される
さらに、文明16年(1484年)、守護大名である島津忠昌の命により、現在の社地に遷座されました。霧島神宮は、神仏習合の信仰が行われていた時代までは「西御在所霧島権現」と称されていました。この時代、霧島神宮は山岳信仰の対象となり、十一面観音が本地仏として祀られ、霧島六所権現として繁栄しました。
現在の社殿は、正徳5年(1715年)に第4代薩摩藩主である島津吉貴によって再建されました。この再建された社殿は、見事な彩色や壁画、彫刻などを備えており、その保存状態も良好です。令和4年、本殿、弊殿、拝殿は国の国宝に指定されています。美しい社殿は「西の日光」とも称され、多くの参拝者や観光客を魅了しています。
坂本龍馬とお龍も新婚旅行で訪れた
特筆すべきは、幕末の時代に活躍した坂本龍馬とお龍の新婚旅行のエピソードです。慶応2年3月29日(1866年5月13日)、坂本龍馬とお龍は念願の高千穂峰登山を果たし、その壮大な自然の中で感銘を受けました。下山後、二人は霧島神宮を訪れ、心を込めて参拝しました。
霧島神宮の境内には立派な御神木の杉がそびえ立っています。この杉の推定樹齢は800年以上にも及び、南九州の杉の祖先とも言われています。この御神木は厳かな雰囲気を醸し出し、参拝者たちに神聖な感動を与えています。坂本龍馬とお龍もこのご神木を見上げたかと思うと、その当時の風景が浮かんできます。
日本の歴史と古くからの信仰を今に伝える
霧島神宮は、その由緒ある歴史と深い信仰の対象として、多くの人々にとって特別な存在です。人々はここで神聖な儀式や祭りに参加し、自然との共感を深め、心の安らぎと神の加護を求めるのです。また、霧島神宮の存在は地域経済にも大きな影響を与えています。観光客や参拝者の増加に伴い、地元の飲食店や宿泊施設などの観光産業が発展し、地域の活性化に寄与しています。霧島神宮は、古代からの伝統と信仰を守りながら、現代社会においても重要な役割を果たしているのです。
このように、霧島神宮は古代神話の由緒を受け継ぎながらも、時代とともに変化し、多くの人々に愛される存在となりました。その荘厳な社殿と美しい自然環境は、訪れる人々に心静かに感謝と祈りを捧げさせ、豊かな霊性の探求へと導いてくれるでしょう。
霧島神宮は自然豊かな霧島の中に位置しており、神聖な雰囲気に包まれています。境内には美しい緑に囲まれた参道が続き、歩くたびに心が洗われるような感覚を覚えます。また、神社周辺には霧島連山や霧島温泉など、見どころや観光スポットが数多く存在し、観光客にも人気の地域です。霧島神宮は、日本の歴史と信仰の一端を刻み続ける神聖なる場所として、これからも永く人々の心を引きつけ続けることでしょう。